好きなら全力投球

アイドルとか舞台とかオタクとかのはなし

ガチ恋だと認められない/恋にもいろいろあるじゃない

わたしはたぶんBさんにガチ恋なんですが、それをなかなか認められません。なんというか、他のガチ恋の人と自分が同じだと思えないからだと思います。


ガチ恋の人の話を聞いていても、どうしても自分と重なりません。
ガチ恋に対して、クラスの中心グループにいる男子にぐいぐいアピールしていく女子のようなイメージがあるからかもしれません。(偏見ですが)
恋を叶えるために自分からアピールできる、それがどれだけすごいことか。

学校で例えるなら、わたしのガチ恋は「クラスの中心で話す彼を端から眺める」とか「部活をやってる姿を遠くから眺める」という感じの恋なんです。
そんなのガチ恋とは言わないと言われるかもしれませんが、これだって恋だと思うんです。

恋をしているから、彼が他の女子と楽しそうに話していたり誰かを特別扱いしていたら嫉妬するし、彼に彼女ができたと知ったら傷付きます。
でも、それだけです。嫉妬したから、傷付いたから、だからってなにをするわけでもありません。アピールすらしていないのだから、なにかをする権利もありません。
ひとりで部屋で泣くかもしれません、もういやだと彼のことを見なくなるかもしれません。でも、友達にはなにも言わないかもしれません。たぶん好きだったことすら相談もしていないような、ひとりで眺めるだけで満足していた恋でしたから。


こんなことを書いていますが、別にBさんになにかあったわけではありません(笑)
ちょっとネタで、一般の女の子を口説くようなことがあったりしたのですが、まあバラエティーだってわかっているので、まあ、まあ。
それにすらちょっと胸が痛むので、やっぱり恋かなって。
役だったらなんとも思わないのですが、素の姿で恋愛要素を出されると、なんとなく傷付きます。
そして傷付いていることにショックを受けるんですよね。
そのたびに「わたしは恋をしているのか」と自覚させられます。



なんともまとまらない話でしたが吐き出してすっきりしました。

スタンディングオベーションについて

皆さんの記事に共感しかなかったので思わず書いてしまいました。
共感しかないなら書く意味ない気もしますが。


わたしも強制されるスタオベは嫌いです。というかスタオベが苦手です。
舞台見ててスタオベしたいと思ったことないんですよね。
すごくいい舞台で感動した!って思ったことは何度もあります。でもその時に沸き上がる感情って、「立ちたい」よりも「座り込みたい」なんですよね。(伝わるかこれ?)
感動したら、深く息を吐きながら座り込みたくなる(立てなくなる?)のはわたしだけなのでしょうか……。
それとも、座り込みたい感動と立ちたい感動ってまたちょっと違ったりしますかね?
どちらにしろ、今のところスタオベをしたいと思ったことは一度もありません。


以前見た舞台の千秋楽で、初主演の役者のファンだけが前の方で数人立っている、というなんとも言えない状況に遭遇したことがあります。
別に立つのは自由ですけどね。初主演の彼にスタオベの景色を見せてあげたかった気持ちはわかりますけどね。正直たいした内容じゃなくて義理でも立ってあげる気にはなれませんでした。

あと、余談ですが、ライビュやってる千秋楽にスタオベされると頭で映らなくなっちゃうのでそれも嫌いです。

心配で仕方ない

tells.hatenablog.com

 

こちらのエントリーを読んで「えっ、心配しちゃいけないの???」って頭の中が???でした。
確かに仕事の内なんだから素人が心配するのは失礼、という理屈もわかるんですけどね。

Bさんは体力あるのかなんなのか、推しはじめてから体のことで心配になったことはありません。(おいおいそんなこと言って大丈夫か?と頭を心配したことはありますが……)


今回は若手俳優ではないのですが、歌手のAさんについて。カテゴリー的にここでいいのかよくわかりませんが、引用させていただいた記事と同じところに上げておきますね。


Aさんはもともと体が丈夫ではありません。重大な病気があるとかではないのですが、疲れるとすぐ熱出すし口内炎できまくるし、そういう体質なんです。
そのくせ、曲は全部自分で作るしCDの歌詞カードやツアーグッズのデザインも自分で全部やりたがる。この間写真集出したときは写真の色調整までしてました。
小さい事務所なので、ある程度は本人がやる必要があるのかもしれませんが、それは歌手の仕事ではないよな…?というところまで口を出してしまう人なんです。なんでも自分でやらないと気がすまないというか。
(実際スタッフさんにやりすぎだと怒られてしまうこともあるみたいです)


こだわりがとても強いので、ツアーグッズの入稿時期なんかは連日朝5時頃に「そろそろ寝る~」とか言ってるんです。
体が強いわけじゃないんだから、そんな生活してたら体調崩すのは目に見えてます。

かなり前ですが、Aさんは体調が悪いままツアーを決行し、途中でぶっ倒れて後半の日程を飛ばしたことがあります。
最近では随分気を付けるようになったみたいだし、スタッフさんも注意して危なかったら止めたりしているみたいです。

 


とまあ、ここまで書いてお分かりのように、わたしはAさんが心配でしかたありません。
Aさんのファンはみんなこんな感じだと思うんですよねー。現場で会えば「最近Aさん寝てないけど大丈夫かな」「今日のAさんちょっと表情辛そうじゃなかった?」みたいな会話を同担としてます。
SNSにも心配だって書いちゃうし、なんならあんまりにも酷いときは然り気なさを装って本人にも伝えます。


ここまでファンに心配させる人ってあんまりいないとは思いますが、心配しているということは、今後に期待してるんだからね!と相手に伝えてることだと思うんですよね。
説教みたいに「体調管理しっかりして!」とか言うのはちょっと違うかなぁとも思いますが、心配すること事態は悪くないんじゃないかなぁ。

でも、心配してるということは相手の「体調管理」という仕事を信用していない、と捉えられてしまうこともあるのかもしれませんね。
今後はちょっと心配の仕方も考えてみようかな、と思いました。

 

チケットの値段について


突然ですが、みなさんのチケットの値段に対する意識ってどれくらいなんでしょうか。
いくらくらいが「チケットの価値」だと思います?


わたしが気になっているのは「定価」の話ではなく、「積む」場合の値段感覚の話です。
みなさん1枚のチケットにいくらまで積んでるんでしょう…。
わたしは良席厨でもないので、基本は定価でなんとかしたいと思っています。ただ、人気公演とか、千秋楽とか、どうにもならないものに関しては、定価の倍くらいまでなら出せるかな~というゆるいスタンスです。
はてぶろ界隈では積んでる方も結構いるみたいなので、定価の倍くらいは本当になんの罪の意識もなく買っちゃうんですけど、リアルの友達は転売コロスマンが多いので、ちょっと肩身が狭いんですよね…。
いや、わたしだって転売は良くないということはわかってますし、わたしみたいに買うやつがいるからなくならないのもわかってるんですけどね。
でもお金出せば推しが見られるなら見たいじゃん!転売に貢献してしまった多少の罪悪感より、見たい公演が見られなかった後悔のほうが遥かに大きいんです。だから買ってしまうんです。



先日も、どうしても行きたい公演の千秋楽だけ手に入らず、定価の8割増くらいの値段で購入しました。
売られていた中では最安値だったし、結果として来たチケットは値段以上の良席だったので、わたしは大満足だったのですが。
その公演、友人と行く予定で2枚買ったんです。ふたりで何公演か一緒に行く予定を立ててました。
友人はあまりチケ活に熱心ではない、というか、ほぼわたしがやったんですよ。
先行の申し込みは多少知り合いにも頼んでくれたので、当たった分はわたしが集約して交換を探しました。

やったことある人ならわかると思いますが、チケ活ってめちゃめちゃ疲れますよね。
チケットの当落が出てから、ずーっとTLから目を話さず譲渡交換で何度も検索をかけ、できるだけ迅速にかつ丁寧な文章を心がけてリプライして…。
そうこうして千秋楽以外はすべて定価譲渡か交換でなんとかしました。しかし千秋楽がどうにもならない。
千秋楽譲渡がそもそもないし、あっても何十件とリプライが付いている。
その状況を目の当たりにし、それまでに頑張った分、途端に面倒になってしまいました。
その労力をかけるくらいなら、ちょっとくらい積んでもいいか、って。

そうして8割増で2枚購入したわけですが、一緒に行く友人には、購入した正確な値段は言えませんでした。
積んだことは伝えたのですが、その時の反応があまり思わしくなく、咄嗟に4割増くらいの値段で買ったと嘘をついてしまいました。
オーバーした分はわたしが2枚分払えばいいや、と思ってそう言ったのですが、最終的に友人からは定価しかもらってません。なんだかそこを追及するのも面倒で薮蛇な気がしたのでそのままにしてしまいました。
わたしが払った金額はかなり高くなってしまいましたが、どうしても見たかった千秋楽、そのくらい出したって別に苦ではありません。(罪悪感がないとはいいませんが)



本当は見たい人すべてに定価で行き渡る世の中が理想なのでしょう。
見たいのに見れなくて、全く見る気がない転売屋だけが得をする。
そんなの間違ってる!
確かにそうなんですけどね。



転売チケットを当日になって弾くくらいなら、もはやオークション形式にでもしてくれ…。
みなさんはチケットの価値ってどのくらいだと思っていますか?

都内に住む


わたしは都内在住です。
なぜか。もちろんイベントに行くためですよ。

わかる、わかるとも、都内住み羨ましいよね。
わたしも高校の頃までは地方に住んでました。と言っても一応それなりの地方都市だったので、それでつらいって言ってたら本気の地方民から刺されそうですが。

中学の頃にAさんにハマり、高校生になって、ライブツアーの、近くでやる地方公演にだけ参加するようになりました。
ツアーだけならまだそれでも我慢できてたんですけど、当時からAさんはよくCD発売イベントをやってました。 地方もまったくないわけでないですが、ほとんど都内。都内のCDショップに直接予約に行って参加券を確保するスタイルです。
そもそもイベント当日に遠征するだけでもお金が大変なのに、さらにその前に店舗まで行けとか無理ですよ。高校生のわたしには無理でした。だいたいそういう時って電話予約は不可なんですよねー。
発売イベントで一早くAさんの生歌を聴けるのが羨ましくて仕方がありませんでした。あと握手もしたかった。

こりゃ地方に住んでちゃだめだ、と思って大学で首都圏に進学。
その結果、「渋谷の店舗で予約するとイベント参加券付きますよ」みたいな情報が出たら、その日のうちに予約に行くことができるようになりました。
もうこの快適さを体験してしまったら地方には戻れないです。
もちろん就職先は都内で探しました。


就職するときのわたしの条件は
①東京に近いこと
②転勤がないこと
③土日が休みなこと
④平日も休みを取りやすいこと
⑤そこそこの給料がもらえること
でした。我ながら酷い。
仕事にやりがいなんて求めてません。上記の条件を満たせばいいので、やりたいこととか別にありません。
結局、職場は部署によって忙しさはまちまちなので④は怪しいですが、とりあえず今の部署では条件を満たしてます。
仕事自体は大嫌いです。この条件を満たしてなかったら死にたいくらいには嫌いです。(でも今の仕事云々ではなく、仕事をすること自体が嫌いなので、なにをやっても死にたいと思います。)
おかげで現在は都内で突発的にやるイベントもほとんど参加できるようになりました。


舞台にハマったのは社会人になってからなのですが、結果として仕事の選択の正しさを噛み締めています。
上の記事にもありますが、仕事帰りに舞台を見に行けるのはいいですよね。
19時開演なら仕事終わりでもだいたいの劇場まではたどり着ける職場なので。
いちいち遠征するとなるとげんなりしてしまいます。
地方遠征もきらいじゃないけど、それはたまの旅行も兼ねてるからであって、遠征がデフォルトとかつらすぎます。
全通するほど強いオタクではありませんが、初日、中日、千秋楽くらいは観に行こうと思ったら、やっぱり地方住みは厳しいですもんね。


何が言いたいって、まあ都内に住んでて便利だぜ!いーだろー!という自慢です。
東京に住めばいいじゃん、と一概に言えないのはわかります。事情があるでしょう。
でも絶対に地方から出られない、という事情がないのなら、出てきちゃえばいいのでは?と思ってしまいます。
(先立つものがないとなんとも言えませんけどね。)

推しがプレゼントを着てくれた話


です。(終了)
Bさんがプレゼントを着てくれました。それまで消耗品をあげたことはありましたが、服をあげたのは着てくれた一着がはじめてでした。
今回は別にBさんの誕生日でもなんでもなく、わたしの誕生日が近かったから、自分に誕生日プレゼント買う代わりにBさんにプレゼントを買いました。


服なんてどうせたくさんもらうだろうし、好みに合わないかもしれないし、そこに金使うくらいなら公演に多く入ったほうがいいと思ってたんですけどね…。今でもそう思ってはいるんですけど。
着てくれてるのがわかった瞬間の高揚感、あれはなにものにも代えられませんね……。
普段あまり自撮りをしないBさんがわざわざ服を着た写真をSNSにあげてくれてるのを見た瞬間、膝から崩れ落ちました。
最近は舞台公演回数カウントbotと化していたBさんのSNS。そこで突然の舞台にまったく関係ない自撮り。
嬉しすぎてリア友にめっちゃ自慢しました。(同厨こわいのでSNSは鍵かけて沈黙してます)


Bさんを推しはじめてまだ一年経ってないんですよね…。
好きな作品だからという理由で見ていたときに、「人で追いはじめたら終わりだよね~」なんて友達と話していたのですが、早々に人で追うようになりました。終わりました(笑)
そして追い始めた頃、「服とか貢ぎはじめたらとめて!」と友達に言っていたのですが、それも半年ほどでやってしまうという。
まあ服の一着で「貢いだ」なんてでかいことは言えませんけどね。それまで万単位のプレゼントなんてリアルですらめったにしたことがなかったので、かなりのハードルだったんですよ。


今後またきっと服をあげてしまうのでしょう。そして律儀なBさんは着てくれるのでしょう。
それでも、このはじめの一着はたぶんわたしの中で忘れられないものになると思います。


とりあえず服とかでかいものをプレゼントするのはBさんの誕生日か自分の誕生日だけにしようと思ってます。(フラグ)

推しの話とコイバナ

わたしは昔からコイバナが苦手でした。
自分が話す側に回るときはまだマシでしたが(それも出来ればしたくない)、ひとのコイバナを聞くときはなんとなく苦痛を感じていました。
でも最近友達と推しの話をしているとき、ふと「推しの話とコイバナって似てるんじゃないか?」と思ったのです。
コイバナって、恋人のいいところや好きなところを友達にプレゼンしているようなものじゃないですか。
コイバナの「恋人」を「推し」に変換してみれば、推しの話をしているときとあまり変わらない気がしたのです。リアコ云々は関係なく。
特にわたしは同厨ではないオタク友達とそれぞれの推しトークをすることが多いので、まさにそれぞれの恋人の話に花を咲かせているのと状況は類似しています。


ではなぜ推しトークはよくてコイバナはだめなのか。
考えた結果、「主体」の違いではないかというところに行き着きました。

推しトークは「話し手主体」、コイバナは「聞き手主体」。
推しトークはひたすら自分から推しのいいところをプレゼンし続け、話し相手からも同様に話し相手の推しのプレゼンを受ける。そしてお互いの推しが素晴らしいということを再確認する。

一方コイバナは、基本は聞き手からのインタビューによって進みます。どういう人なの?どこが好きなの?最近どんないいことがあったの?などなど…こちらから聞かないことには話が進みません。
もちろん自分からひたすら話すひとだっているでしょう。しかしそれは「のろけ」と言われて、あまり推奨されていません。
なんとなく聞き手側が聞き出してあげるのがルール、みたいなところがあるじゃないですか。
たぶんそれが苦痛なんです。
だって他人の推し(恋人)になんてそこまで興味ないですから。
自分が推していない人の情報を、わざわざこちらからインタビューしてまで聞き出したいか、と言われたら、ノーですよ。そんな労力使うなら自分の推しについて話したい。
わたしが友達と推しトークをして楽しいのは、楽しそうに好きなことについて語る姿がキラキラしてて素敵だからです。あと、聞いた分は自分も語る権利がある、と感じられるから。



いっそコイバナもひたすら勝手に恋人について語ってくれよ、と思ってしまいます。それなら聞いてあげるから。
聞き出してもらう体を取りつつ、結局みんな自分の好きな人について話したいんでしょう。でも自分からあれこれ言うのははしたないとか思ってるんでしょう。
本当に面倒くさい。
そんなことを思ってしまうわたしは枯れてるのかなぁ。