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推しの話とコイバナ

わたしは昔からコイバナが苦手でした。
自分が話す側に回るときはまだマシでしたが(それも出来ればしたくない)、ひとのコイバナを聞くときはなんとなく苦痛を感じていました。
でも最近友達と推しの話をしているとき、ふと「推しの話とコイバナって似てるんじゃないか?」と思ったのです。
コイバナって、恋人のいいところや好きなところを友達にプレゼンしているようなものじゃないですか。
コイバナの「恋人」を「推し」に変換してみれば、推しの話をしているときとあまり変わらない気がしたのです。リアコ云々は関係なく。
特にわたしは同厨ではないオタク友達とそれぞれの推しトークをすることが多いので、まさにそれぞれの恋人の話に花を咲かせているのと状況は類似しています。


ではなぜ推しトークはよくてコイバナはだめなのか。
考えた結果、「主体」の違いではないかというところに行き着きました。

推しトークは「話し手主体」、コイバナは「聞き手主体」。
推しトークはひたすら自分から推しのいいところをプレゼンし続け、話し相手からも同様に話し相手の推しのプレゼンを受ける。そしてお互いの推しが素晴らしいということを再確認する。

一方コイバナは、基本は聞き手からのインタビューによって進みます。どういう人なの?どこが好きなの?最近どんないいことがあったの?などなど…こちらから聞かないことには話が進みません。
もちろん自分からひたすら話すひとだっているでしょう。しかしそれは「のろけ」と言われて、あまり推奨されていません。
なんとなく聞き手側が聞き出してあげるのがルール、みたいなところがあるじゃないですか。
たぶんそれが苦痛なんです。
だって他人の推し(恋人)になんてそこまで興味ないですから。
自分が推していない人の情報を、わざわざこちらからインタビューしてまで聞き出したいか、と言われたら、ノーですよ。そんな労力使うなら自分の推しについて話したい。
わたしが友達と推しトークをして楽しいのは、楽しそうに好きなことについて語る姿がキラキラしてて素敵だからです。あと、聞いた分は自分も語る権利がある、と感じられるから。



いっそコイバナもひたすら勝手に恋人について語ってくれよ、と思ってしまいます。それなら聞いてあげるから。
聞き出してもらう体を取りつつ、結局みんな自分の好きな人について話したいんでしょう。でも自分からあれこれ言うのははしたないとか思ってるんでしょう。
本当に面倒くさい。
そんなことを思ってしまうわたしは枯れてるのかなぁ。