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好きなら全力投球

アイドルとか舞台とかオタクとかのはなし

「見られる」ことを考える

キャパが200人程度の劇場に行くことが増えました。Bさんがよく出るようになったので。
200人、下手をすると100人ほどの規模ではどの席からもよく舞台が見えますよね。一番前なんてものすごく近い。近くで推しの舞台が見られるのはすばらしいことです。
しかし、近いがゆえに発生する問題、それは「見られる」こと。
こちらからよーく見えるということは、向こうからだって見えるわけです。もちろん、演技をしている最中には見えていても「見ない」ことがほとんどでしょうけど。それでもどうしたって目に入ってしまうし、カーテンコールでは演者も客を見ています。


観劇に行くに際して、ある程度身だしなみを整えるのは人としてのマナーかとは思います。
でも、一般の人の目に入るときの身だしなみと、推しの目に入るかもしれないときの身だしなみって気合いの入れ方がどうしても違ってきますよね?


わたしは普段観劇に行くときは、一般の人に見られるくらいの気合いで行きたいんです。
ただ、キャパが小さいとどうしても推しの目も意識してしまいます。なんでただ観に行くだけなのにこんなに気を使わなきゃいけないんだ…と気疲れしてしまうこともあります。
わたしはそこまでおしゃれができる方ではないので、見られると思うとめちゃめちゃ気を使うんです。
そっちに気を使うとなると、ただ舞台を楽しみにしたいのに、なんとなーく憂鬱になるんですよね。
向こうは絶対こちらの見た目なんて気に留めていないでしょうから、完全なる自己満なわけですが。


先日友人とBさんの話をしていたときに「それだけ行ってればもう覚えられたんじゃない?」と言われて、なんとなくひやっとしました。
確かに短期間にかなりの回数行きましたが、相対したのは、マチソワ間にたまたまエレベータホールでエンカウントしてしまった時に「楽しかったです」と言ったのと、別の舞台で見送りに出てきていたときになにも言えずに会釈した2回だけ。
もちろん、覚えられているなんてこれっぽっちも思っていません*1。でも、ただ観に行ってるだけでも覚えられてしまう可能性ってあるんだな、と気付かされました。


認知感やファンサうちわのエントリーでも書きましたが、わたしは「見られたいと思いたくない」んです。
1000人くらい入るようなところならそもそも目に入るわけがないので気にしなくてすみます。でも、見られる可能性があると途端に気になる。そして、気にしている自分に気付いてうんざりする、という負の流れができてしまうわけです。


話は少し逸れますが、似たような状況に「客席降りのある舞台での通路席」があります。
客席降りのある舞台での通路席の人気は言わずもがな。通路に面しているかひと席内側に入るかでは雲泥の差があります(と、わたしは思っています)。
でも、「見ること」だけをかんがえたら、通路席ってそこまで良席ってわけではないですよね。真ん中より端になるとこがほとんどですし*2
でも、客席降りがあるから通路かどうかで一喜一憂してしまう。そして一喜一憂している自分に気付いて…という流れ。


純粋にその作品を見ることだけに集中していたいのに、役者との距離が近すぎると余計なことを考えてしまいます。
Bさんに関しては本当に自意識過剰になってしまってるみたいです。


なんでこんなに「見られる」って気にしているかというと、Bさんの舞台で最前のほぼセンターを2日連続取ってしまったから。
1日ならまだしも、ほぼ同じ場所に2日連続いるとか……と、最前で見ることができる楽しみよりもなんだか申し訳なさが込み上げてくるんですよね…。
まあでもたぶん考えすぎなんで、できるだけ気にしないようにして、舞台を楽しんでこようとは思っています。

*1: なーんてエントリーを作成中にBさんとちゃんと接触と呼べるレベルの接触があり、 そこで顔を覚えられていたことがわかったのですが、それはまたちょっと落ち着いてから書きます…。まだ本格的に追っかけはじめて3ヶ月経ってないよ…認知早いよ……。

*2:真横を通る推しを「見る」となると良席なのかもしれませんが、それも客席降りがなければ通らないですし。