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好きなら全力投球

アイドルとか舞台とかオタクとかのはなし

わたしの面倒な認知観―「認知されたい」と思いたくない―

認知については、いろんな方がいろんな見方で書かれていて、とても面白いです。
認知についてはいろいろ思うところがあるのですが、この面倒くさい自分の胸のうちを書いて整理しておこうと思います。


まずはじめに、認知されたい派かされなくない派かですが、わたしは「認知されたいと思いたくないけど認知されると嬉しい派」です。
実に面倒くさい。

認知を求めて行動するのは大嫌いです。自分が相手に「見られたい」と思って行動していると自覚するとものすごく不快になり後悔します。
自分はあくまで舞台上での、作られたアイドル(偶像)としての彼が好きだから応援しているのであって、ただのイケメンだから好きになったわけじゃない!という変な自負が働いてしまいます。
だから、寝る間際のベッドでの自撮りを見て、「かっこいい、付き合いたい」とか思っちゃう自分をひたすら後悔します。自分はリア恋じゃない、演技が、歌が、ダンスが好きなの!と言い聞かせています。
面倒くさい。

この面倒くささを実感したのは、以前の記事でも書いた「ファンサうちわ」のせいです。
はじめて使ったファンサうちわ。本当に面倒で苦手です。
「見たい<見られたい」になっているのを視覚的に突きつけられました。

これは自分に対する言い訳なので、他の人が認知を求めているのはそこまで不快なわけではないです。
度を過ぎたものには嫌悪感がありますが。
あくまで「認知を求めてしまう自分」が嫌なのです。

そもそも、面倒くさいわたしがいやだいやだと思いながらリア恋しているのが最近推し始めたBさんです。
もしBさんと付き合えるなら付き合いたい。でもBさんがファンと付き合うような人だったらいやだ、という酷い矛盾を抱えております。


今までこの面倒な認知感を自覚せずに生きてこれたのは、10年来ファンをしているAさんの対応のおかけです。
まず、わたしはAさんに認知されています。
どこからが「認知」かというのはあやふやなところですが、とりあえず握手会に行って「いつもありがとう」「また来てくれたんだ」といったような、「よく来る奴」という認識をされています。名前と顔はたぶん一致していません。名乗らないし。
それでも、はじめて「いつもありがとう」と言われたときは衝撃でした。「この人わたしのことわかってる!?」とものすごく驚きました。
しかしまあ、それも当然なんです。
はじめて言われたのはたぶん握手会などにコンスタントに参加するようになってから5年ほどたった頃でしたし、むしろわたしだってよく来るファンの顔、50人くらいは覚えていましたから。短い間とはいえ、一対一で向き合っている彼がその50人程度の顔を覚えるのはそう難しいことではないと思います。というかたぶん顔だけなら150人くらいは覚えてるんじゃないかな、あの人。

参考に書いておくと、その人の接触イベントはCD発売などのタイミングで、1作品で5回くらい。それが年に2作品くらい。その他2年に1度くらいファンクラブイベントツアーがあります。
毎回200人程度が参加、毎回参加する人が50人くらい、毎回ではないがまあまあ参加する人100人くらい、その他新規やきまぐれ50人、といったところです。体感ですが。

自分も周りのファンを覚えるくらいだから、覚えられて当然。
素直に、覚えてもらったことが嬉しかったです。こっちから覚えてもらうためのアクションはなにもしていませんから。ただただ、彼を見たいがために通っていた握手会やサイン会やインストアイベント。単純にわたしが彼を見ていた時間の副産物でしかありません。
そこからこじらせて「もっとわたしを見て!」とはなりません。

わたし以外にも大勢が認知されていることを知っていますし、Aさんは認知しているからと言ってライブで人を選んでファンサをしたりする人ではありません。
あくまで認知されていることによって、接触イベントでただの「ありがとう」ではなく、「“いつも”ありがとう」と言ってもらえるだけです。
新規に対しての優越感はなくはないですが、古参が多過ぎて大した優越感にはなりません。
がっつり追っかけてる人が、わたしがファンになりたての頃からほとんど変動しないので、10年経つ今もなんとなく自分のことを古参と呼べずにいます。古参がずっと古参だから…。

Aさんに対しては本当に見られたいとは思わないんですよね。
Aさんにリア恋したことは1度もなかった……わけではないかもしれませんが、一過性の熱が落ち着いて、敬愛へと変わる頃(ファンになって2年くらい)まで接触イベントに参加したことがなかったのがよかったのかもしれません。
この穏やかな気持ちでファンでいられることがどれほど幸せなことだったか。
それがどうしてこうなった。

認知されるための行動はしたくないと思いながら、Bさんには毎回同じオリジナルの便箋で手紙を書いています。
ファンレターの話を皆さんが書いているのを読んで、便箋で覚えてもらう、という可能性を知ったからです。
これまではそんなこと微塵も考えたことがありませんでした。ファンレターはただ思いの丈をどうしても伝えたいから書くもの。思ったことさえ伝わればいい。
もちろん今もそう思っていますが、プラス、ほんの少しでも「わたし」が残ればいいなーなんて思ってしまいます。

出待ちをしている人を見ては、どうでもいい嫉妬心が生まれます。
わたしはどれだけリア恋でも疲れている彼の迷惑にはなりたくないので出待ちは絶対反対です。
でも、待てば会えるのも事実です。だからみんな待つんです。
わたしが帰ったそのあとで、出待ちをした誰かとBさんが話をしているかもしれない、と考えてはもやもやします。

リア恋故にファンイベントに参加するのも踏ん切りがつきません。
まだど新規だということもありますが、ファンイベントで他の人と話しているBさんを見て、嫉妬しないかが不安です。
嫉妬をする自分を想像するともやもやして気持ち悪いです。絶対嫉妬なんてしたくない。
それこそ認知されている人と楽しそうに話していたら、自分も認知されたい!と行動が加速するのではないかと思うといやになります。

Aさんの握手会では、自分の番が終わってから1時間以上ひたすら他の人と握手して話している姿を見ていても幸せを感じられるのに。

と、こんな感じでわたしの認知に対する考え方はとても面倒な自己矛盾をはらんでいます。
認知されたくないわけではない。しかし認知されるためにがんばって行動はしたくない。


純粋に俳優としての面だけを尊敬して、応援できれば幸せなのに。リア恋なんてしたくなかった。
もしくはリア恋しても気にせず突っ走れるような性格になりたかった。