好きなら全力投球

アイドルとか舞台とかオタクとかのはなし

ファンサうちわとわたし

前回のファンサについてのブログで作っていたファンサうちわ、先日使用してきました。

結論から言えば、「ファンサうちわを持っていく人の気持ちはわかったけど自分には向いていない」です。

ちょっとしたコンサートに参加してきたのですが、座席が段差になっていて前とあまり被らない構造だったことと、前から5列目だったこともあり、推しにうちわを見つけてもらえました。(たぶん)
わたしのうちわを見つめて、にこっと笑ってくれたのです。(たぶん)
肝心のファンサ側を向けていなかったので確証はありません…見せていたのは推しの名前側。でもこのうちわを持っていたからこっちに目線くれたのかな?と思える感じには長めに見てくれたと思います。

「見てくれた」と感じたときには胸が高鳴りました。推しと目線が合っているなんて、なんだか夢のようです。
しかし、わたしが「うちわっていい!」と思ったのはその目があったと感じていたときだけでした。
やっぱりうちわを持っているのにこっちを見てくれない、と感じてしまって何となく辛い。
さらに、わたしは推しは一応いるものの、箱推しというか、みんなそれぞれに好きなところがあるので、参加者全員を満遍なく見たいんです。
でも、うちわを持っていると、推ししか見てはいけない気分になってくる。
推しがうちわに反応してくれたときに、わたしが別の人を見ていたら…。
また逆に推しではない人がわたしをたまたま見てくれたとき、わたしが別の人の名前が書かれたうちわを持っていたら…。一目で自分のファンじゃないと気付いてしまいますよね。


なんだかうちわを持っていると、そういう余計なことを考えてしまって純粋に楽しむことができませんでした。
たぶんわたしみたいなのは考えすぎで、推しのうちわ持ちながら別の人を見たっていいんでしょう。
でもねー気になっちゃうんだよねー。

そもそも、「見られたい」と思うこと自体疲れます。
わたしは見に行ってるのであって、見られに行ってるわけじゃないんです。
向こうには一個人のことなど気にせず、意識せず、ファン全体を見ていてほしいなと改めて感じました。